| ■2005年12月6日
<4才のブランコ学
−容赦なく落ちた生かされない経験−>
4才だった私はひとりで幼稚園のブランコに乗っていた。
勢いよくこぎながら、
「ひょっとしてこの手を放しても、このまま乗り続けられるかも」
そう思ったことがある。
正確に言うと、そう信じ、迷わず手を放したことが、ある。
背中から容赦なく地面に叩きつけられた。
落ちたのだ。しばらく動けないほどの痛みだった。
これは、
昨日とても天気がよかったので気分転換をかね、
自転車で走り見つけた知らない街の公園で、
20数年ぶりにブランコに乗りながら思い出した記憶…。
その公園でブランコに乗っていると、2才の小さな女の子がやってきて、 隣のブランコに座ろうとする。お母さんが見当たらなかったので
少し話をしてからゆっくり座らせてあげ、やさしく背中をおしてあげた。
手を放すといけないので彼女が降りるまでずっと手をかざし、ついていた。
彼女は自分の手で支えをしっかり握り、放しはしなかった。
彼女の倍の人生を生きていたあの頃の私は、支えを簡単に手放した。
今でも。
ひょっとして支えを握っているこの手を放しても、
このままいけるんじゃないかと思っている。
握っている支えがなくたって、うまく乗れると信じている。
でもそれは、
自転車に乗るためのこける経験とは全く違うことも、知っている。
何の糧にもなりえないただの痛みでしかないことだって、気付いている。
手放した先に何かあったかというと、…ない。
容赦なく落ちた生かされない経験は、いまだに続く。
そろそろ、自分の手を伸ばし自分の支えとなるものをしっかり握る、
ただそれだけのことを、私は、学ばないといけない。
2才の小さな女の子を見ていて、そう思った。
きっと、できる
紫舟 拝
<今日の作品>
ブランコを降りたら書きたくなった文字、「ヒト」。

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