紫舟 SISYU

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「修二会、表現の根源にあるもの」

東大寺の修二会で学んだこと

東大寺の修二会の声明を聞く公演にむけて、エッセイを寄稿しました。 駆け出しだったころ、奈良に暮らし修二会に通っていた紫舟。夜通しの祈りを体感しながら、表現について気づいたことがありました。


大阪国際フェイスティバル
ブログ「修二会、表現の根源にあるもの」








その時、修二会には、「すべての表現物」の根源があると分かった。歌や踊りなどの表現は、人間を喜ばせるためではなく、神仏に捧げるために生まれたと。表現は神仏への思いから生まれ、それぞれの地域の歴史的な背景や思想の影響をうけながら発展し、いまのミュージカルやストレートプレイ、音楽コンサートやライブ、さまざまな造形物へと形を変えてきた。表現の源流は、神仏への思いかもしれない。

「修二会、表現の根源にあるもの」